虹口区性价比美食:【コラム】孫文の子孫と伊藤博文の子孫 | Chosun Online | 朝鮮日報

来源:百度文库 编辑:九乡新闻网 时间:2024/07/13 20:58:51

【コラム】孫文の子孫と伊藤博文の子孫

 

今月9日、米国の次期駐中大使に中国系のゲーリー?ロック氏(61)が指名され、中国は歓迎ムードに包まれた。中国メディアは「中華の息子が帰ってくる」「100年ぶりに故郷に錦を飾る」などと、民族の誇りを感じさせる表現を用いて報じた。現職のジョン?ハンツマン駐中大使はこれについて「中国では(アイルランド出身のロックバンド)U2のボノ並みの人気だ」と話した。

 

 

 中国系移民3世のロック氏は、中国系米国人としては初めて州知事や商務長官を務めたのに続き、中国系初の駐中大使に起用されることになった。中国の人々は、19世紀のゴールドラッシュに乗じて米国西部へ移住し、あらゆる苦難に耐えた祖先たちに思いをはせ、今回の吉報に感激した。

 

 中国人たちが熱狂するのは、もう一つ理由がある。ロック氏の半生は、中国人成し遂げた「アメリカン?ドリーム」の典型だからだ。祖父は無一文の状態で中国から米国ワシントン州へ移住し、シアトル近郊のオリンピアで白人の富豪の家で召使いとして働いた。父親は米国の一人前の市民になるため、第二次世界大戦中のノルマンディー上陸作戦(ナチス?ドイツによって占領された西欧への侵攻作戦)に参加するなど、苦労を重ねたものの、人種差別の壁は厚く、失業者にならざるを得なかった。

 

 その後、ロック氏の父親は中国料理店を経営した。ロック氏は若いころ、この店で皿洗いをしたり、厨房(ちゅうぼう)を手伝ったりした。こうした苦労の末、名門エール大に入学し、猛勉強して奨学金を受け取り、ボストン大で法学博士の学位を取得した。1996年にワシントン州知事に就任したロック氏は「1マイル(約1600メートル)を進むのに100年かかった」と語った。祖父が召使いとして働いた家が、自分の執務室がある州政府庁舎から1マイルしか離れていないことを皮肉り、こう表現したのだ。

 

 ロック氏はまた、小説のようなラブストーリーを演じた。1986年、中国系移民2世で、シアトルのテレビ局のレポーターだったモナ?リーさんと知り合ったが、リーさんが自分にあまり関心を寄せなかったため、ヘリコプターを借り、「Mona Lee, I love you」と書いた懸垂幕を垂らしながらリーさんの自宅上空を旋回した。その後、リーさんと結婚したロック氏は3人の子どもをもうけた。しかし、中国人がもっと感動したのは、リーさんが中国革命の父?孫文のひ孫だということだった。

 

 一方、ロック氏が次期駐中米国大使に指名されたのと同じ日、日本による韓半島(朝鮮半島)の併合を推し進めた伊藤博文の玄孫の松本剛明氏が外相に任命された。米国の対中外交の司令官には中国系の人物が任命された一方、韓半島との関係を重視する日本の外相には、国を奪った人物の子孫が任命されたというわけだ。ロック氏の祖父が米国へ渡ってから今年で101年、そして中国?ハルビン駅で伊藤博文を暗殺した安重根(アン?ジュングン)が処刑されてからも、今年で101年だ。

 

 ロック氏は「100年かけて1マイル進んだ」と表現したが、伊藤博文の子孫が入閣したという報に接した韓国人たちは「100年ぶりに元の位置に戻った」と感じている。松本氏は安重根の遺骨の発掘に関心を寄せ、韓国との関係に対し積極的な姿勢を見せているというが、韓国人にとってはやはり伊藤博文の子孫でしかない。同じ日、米国では安重根の孫娘の蓮浩(ヨンホ)氏が、身寄りがないまま死去したとの知らせも伝わったが、これもロック氏と幸せな結婚生活を送る孫文のひ孫と比べると、悲痛さを感じざるを得ない。

 

呂始東(ヨ?シドン)記者(デジタルニュース部次長待遇)